2021年7月
7月の写真
7月記事の写真です。生きてるって素晴らしい。写真クリックで各記事へ。
大暑は終わり?
暑さが去っていくかな
長崎市の天気予報です。これから雨。その後も曇り日が続いてますね。島原市も似たような感じ。
最近は直射日光が降りそそぎ続けて、散水していても庭木にダメージが及んできていましたので、今後の天気予報に救われます。大暑がこれで終焉に向かうとうれしいのですが。
早朝にジルと散歩していても、写真のように空の色がこれまでよりエレガントな色合いに変化してきました。旭亭に吹き込む朝の風も心地よいものになっています。
地球温暖化がよくわかる動画
これはNASAによる動画資料。観測を開始した1880年から2017年までの平均気温の推移です。
2017年の平均気温は1951年~1980年の30年間の平均より0.9℃上昇し、観測史上2番目に高い値を記録したとのこと。特に1970年以降は劇的に上昇しています。
朝に活動
大暑真っ盛りですね。
一日の活動は早朝に済ませています。朝3時から4時に起床。あれこれ活動して10時までには終了。皆さんが今ご覧になっているページもそんな時間帯に書いていることが多いんです。
最近暮らしている島原。ゴールデンタイムは朝日が昇るトワイライトゾーン。午前中はいい風が吹いていることが多く、窓を開けて暮らしています。午後になると無理ですのでクーラー。陽が沈む頃になって、やり残していたことをやってます。
フリーランスの役得です。
アンチョビをつくる
アンチョビをつくっています。
素材は島原の小浜で採れたエタリ(カタクチイワシ)を機械屋さんから分けてもらったものです。ワタをとってたっぷりの塩で漬け込むこと1か月。
この度、封印を開けて魚の中骨を取り、これに自家製ローリエ、黒粒こしょう、赤とうがらしをはさみこんで、たっぷりのオリーブオイルに漬け込む。これからさらに1か月おいて完成。
市販の缶詰のようにはいかず身が小さくちぎれました。アンチョビ用には大きなエタリが向くようです。完成度は期待薄。ノウハウについては下記リンクをご覧ください。
オリンピックかあ、静寂さがほしいな
今さら「日本ガンバレ!」じゃない
若者層がオリンピックに関心が薄いという。テレビ中継も見ない。日本人だからと言って肩入れする世代ではないのだ。「日本ガンバレ!」の世代ではない。
「日本人」という概念に全力投球する時代ではない。それは日本が世界の片田舎だったころの前時代的感覚だ。どこの国の人間であろうが、どんな肌の色をしていようが、素晴らしい能力を発揮する者には「すごいね」と思う。大坂なおみであれ八村塁であれすごいねと実直に思う。「日本ガンバレ!」というナショナリズム意識が希薄な国際人が育ってきているのだ。未だに「日本ガンバレ!」と興奮し続ける一部の中高齢者とマスメディアを残して。
静寂さがほしい
「日本ガンバレ!」とマスメディアはガナリ続けている。うんざりする。どのチャンネルに切り替えてもオリンピックをやっている。バカみたいだ。そう思っている日本人は少なからずいる。全日本人が松岡修造じゃない。17日間もこんな状態が続くと考えただけでゾッとする。
日本はウソをついてまでオリンピックを招致した
日本はオリンピック招致の際に、世界を次のようにダマしていました。
- 「TOKYO2020立候補ファイル Discover Tomorrow」 (東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会編)から
もう一度。
- 「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。」
このように記して招致していたのです。日本は世界をダマしたのです。
だれがこんな大嘘を書くように指示したのでしょう。
幻想には燃えない
昨日行われた長崎県高校野球大会決勝の長崎商業高校と大崎高校の試合には燃えた。私の実感として試合校があったからだ。
「日清戦争の頃に、一般の人って世界情勢もほとんど分からなかったんでしょ。そんな一般人が、どうして見えない清という国と戦うために、自分の命を投げ出せたんでしょうね? 不思議」という会話を交わしたことがある。
なぜ国家という幻想に命を捧げたのか。大きな役目を果たしたのがメディアであった。今またメディアはその特質を露呈している。
散人さんのコメント
五輪もその役割を終えたのだろう
白人社会主導で始めた五輪に遅れて参加した黒人(アフリカ系)や黄色系(アジア系日本も)は、数少ない勝てるゲームで狂喜した。アベベのマラソン連覇、小野喬氏の鉄棒、東洋の魔女に狂喜した。
五輪は白人対有色の戦いで湧いたのだ。しかし現在、欧州も移民政策を採り五輪代表に黒人系やアジア系もしばしば出てきている。グローバルの時代、人種の対決感が薄れた。
白人主導の五輪は有色が勝つと平気でルール変更をする。何メートル以上は潜水してはいけないとか。公平ではないのだ。
2010復刻記事
この年はシビアな業務でした。そのこともあって盛んに飲み、里山など野外に出て、自己コントロールをしていた時期です。
遠浅の海
気品溢れる渚
研ぎ澄まされた気品溢れる渚。どこまでも穏やかで静寂さに包まれた有明の海。遠浅の海に寄せる波は繊細です。 早朝散歩の際にパチリ。うつくしい故郷。
対岸までの距離20km
小学生のころ担任がこう教えてくれたシーンを妙に憶えています。
「中国人が有明海を見て『日本にも大きな川がありますね』と言ったらしい」
このことは大げさではなく、有明海の対岸までの直線距離は約20㎞、黄河の河口幅は約18kmでほぼ同じなんです。
旭スペクタクル
少年時代、島原の美しさを分かっていませんでした。よく言われるように、当たり前のようにあるものは価値0だと思ってしまいやすい。 こんな風景が早朝の散歩途中ポケットに入ったiPhoneを取り出してホイと撮れてしまいます。特別なレンズやカメラなどいらない。耽美的な風景。
やっぱり降らない
お山 雲仙が傘をかぶると雨
「雲仙が傘をかぶると雨になる」と山を見やる父から教わりました。地元の常識です。 今朝はお山が傘をかぶっていました。けれど天気予報は晴れ。過去の常識が通用しなくなっています。
他県の方のあるある間違いとして、写真左側の山を雲仙普賢岳と思われるようですが、さにあらず。こちらは眉山。30年前の雲仙岳噴火災害の際に、火砕流から島原市街地を守ってくれた山です。
オリンピック映像の彩度の高さ
幾重の意味においても開会式冒頭のショーは悲しいものでしたね。
改めて驚いたのは、目を射貫くようなTV映像の彩度の高さ。レタッチした映像。あなたが撮影したデジカメ写真と比較するとただならぬ彩度がお分かりいただけます。TVショーとしてのオリンピックとして発信される映像の質は大きな要素。オリンピック関連映像はこれでいくでしょう。
散人さんのコメント
電通のキャスティングだったことを伝えないマスコミ
五輪開会間際にまた解任者が出た。いずれも電通のキャスティングだった。が日本の報道機関には電通タブーが存在するので批判できない。
グッドマンさんのコメント
オランダから見た東京オリンピック
日本でのオリンピックについては,かなり冷めた目で見ております。オランダでは,今のところオリンピック関連の報道はほとんど見られません。オランダのテコンドーの選手が,検査で陽性だったため試合に出られず,彼女のキャリアが終了したという,気の毒なニュースを目にしたぐらいです。今後,オランダのメディアがどのようにオリンピックを報道していくのか見ておきたいと思います。
雨が降らない
大暑
今年は7月22日つまり昨日、大暑を迎えました。今が一年のうち最も暑い時期。8月7日が立秋を迎え、朝夕が涼しくなり秋の気配が立つころとなります。
降雨なし
というわけで島原旭亭に来て以来降雨なし。朝夕散水していますが、ツツジやハナミズキが枯れかける危機的状況。昨年この時期に大きな木を2本立ち枯れさせてしまったので、心配で足止めを食らい長崎に帰るに帰れないでいます。
夏場の剪定
剪定のノウハウはyoutubで学んでいます。本当に便利でありがたいyoutube。でもどうして庭師関係者って3度も4度も同じことを繰り返すクドイ解説が多いんでしょうね(苦笑)。
早朝から数時間と夕方に剪定作業。住み込み庭師生活は続きます。
コットでお昼寝
今日の朝日スペクタクルショー
暑い日が続きますね。みなさん、いかがお過ごしですか?
この頃は5時前に起きて朝日のスペクタクルショーを楽しんだあとは、庭に散水、草むしり、枝の剪定。取っても取っても草むしりと剪定。そしてシャワー。気づくと4時間ぐらい経っています。
風に吹かれて
昨日島原では心地よい風。「お、こりゃいい」と、午後から日陰になった軒下にコットを広げてお昼寝。
水を含ませたタオルを目の上にあて、『牧神の午後への前奏曲』なんかのドビュッシーの楽曲をイヤホンで聴きながら浮遊感に包まれウトウト。吹く風に、かつてthomさんたちにお世話になった瀬戸内ヨット・クルージングのことを思い出しました。
瀬戸内ヨット・クルージング
瀬戸内ヨット・クルージング
https://site-matsuwo.com/outdoor2/2012/09setouti/index.html
北九州から広島県三原まで34フィートのヨットで2泊3日。キャプテン、thomさん、そしてお邪魔虫の私の3人で巡った瀬戸内クルージング。夜も風に乗って進み、交代でデッキ上で眠る心地よさ。
輝く海
見晴かす有明の海はさんさんと降りそそぐ陽の光を受けて輝く。うつくしい。
うつくしく温かいわたしの故郷。
ファンタスティック日の出
島原市。5時前。地球のスペクタクルショーを待つ。
始まった。太陽が地球の少し裏側にあって己の存在を響かせはじめる。
圧倒的存在が今浮かび上がろうとする。
早朝に虹を見ました
長崎市。今朝5時25分ぐらいかな、窓の外が色付いているようなので見やると、そこに鮮やかな虹。こんな早朝に虹を見たことあったかな。
それは陽が昇るとたちまち消え行っていき、これが5時35分の空。街が眠っている上で、昇りくる太陽の光線が雲を鮮やかに染めていました。これもまた美しい。
ながさきグルメ
四川料理 伯水楼
安くで昼食を済ませようと思ったら、大学学食が挙げられます。誰でも利用できますしね。でもどっこい。長崎大学学食を訪ねて行ったら「ただいまコロナ禍で関係者以外入店禁止」という張り紙が。無理もない話。
四川料理 伯水楼
じゃあその近所でおいしい昼食といって思い出すのは、長大生はじめ勤め人の聖地「伯水楼」。安くって盛りがいいんです。お昼には店の前に行列ができます。店内では相席がデフォルト。「ながさき県民が選んだおススメグルメ店100」に選出。
写真は肉入りチャーハン(あんかけチャーハン)800円。これとマーボ丼750円あたりがここの人気メニュー。
早朝散歩
早朝、まだ陽も昇らない薄闇の中、相棒ジルと散歩に出かける。
空気がおいしい。昼間うだる暑さの中で蒸されていた街並みの背筋が伸びています。行き交う人もまばら。伸びをして、深呼吸して、整っていく身体を実感。
写真はコース上で見かけた植物。スマホ搭載サイト「ハナノナ」でかざすと名前が。美しい植物ですね。
パララックス
当サイトのトップ画像にはパララックス処理をしています。でもECMレーベル的静寂さのある写真を使ってますのでそのことに気づいていない方も多いのではと、今回気づくようなショットを掲載。「?」の人は更新するといいかも。
島原トーク
散人さんとの宴席での会話。
島原はコロナも戦争も無風に近い
「島原ではね、もう数か月間コロナ罹患者がでてない。コロナ禍になって以来、片手人数いたかな? ニュースではコロナ騒動で都市部なんか本当に大変。でもね、島原ではみんな人間らしい生活してる」
「緊急事態宣言下、都市部で一人暮らししてる若者は大変ですよね。職場と6畳一間のアパートの往復って息が詰まりそう」
「ここじゃゆっくり暮らしてる。先の戦時中も、大きな空襲なんてなかった。みんなひもじい思いしないで食料もあった。地方を空襲しても非効率的だし、島原は食の宝庫だからね。非常時には、都市部が一番波を被る」
バッハ缶詰め作戦
「無観客開催の決定プロセスは極めて戦略的だったですね。オリンピック対応に関しては政府に落胆することが多かったんですけど。日本政府もこんなことできるんだと驚きました。その作戦って『バッハ缶詰め作戦』。
バッハに正面から言ったって無観客開催には反対する。ならば彼が缶詰めで身動きできない時にやってしまおうと。バッハは8日に来日。彼が飛行機に缶詰めのとき、日本当局は周りを固めてしまった。7月7日夜に菅は緊急事態宣言の意向を固め、小池が無観客を示唆している。
到着したバッハはさらにホテルに3日間缶詰め。このときの8日夜8時に5者会談でバッハはTV会議形式の参加。バッハ以外は無観客に足並みがそろっていて決定。バッハはハメられたと思ったでしょう」
セダムの庭
セダムの緑は彩度鮮やかです。いまここまで植え付けが終わりました。
一口にセダムといっても様々な特性の種がある
今年春からセダムを敷き詰めるプランを進めてきました。セダムと呼ばれる植物のバリエーションは豊かで、まず何種類かのセダムを試みに植えました。その結果、枯れていったものを尻目に乾燥状態でも強いものが分かり、この種を長崎市の自宅で増殖させ、島原旭亭への植え付けを繰り返して現在に至っています。
グランドカバーとしても優秀
セダムが生えたところは雑草が生えにくい傾向が明確に見られ、グランドカバーとして優秀です。今後の展開が楽しみな植物です。
夕立
島原。住み込み庭師生活。
昨日夕方、雷雨。明けて今朝は日中の焼け付く暑さが噓のようなすがすがしさ。早朝から雑草取りに専念。
中島カーテン設置
わが家の年中行事のひとつ、中島カーテンの設置を昨日行いました。
広いガラス面の外側をカバーする遮光カーテン。夏の訪れです。毎年の設置日は次のとおり。
オーベルジュあかだま
思い出を残すため記します。
結婚30周年を迎えた私たちが旅先として選んだのは、一軒のオーベルジュでした。ひっそりと森の中にたたずむオーベルジュを訪ね、ゆっくりとおいしいものを頂く。大人の旅。
大島・崎戸の思い出
オーベルジュあかだまは長崎県の寺島にあります。西彼半島から大島大橋を渡った島。もう一つ渡ると大島、さらにもう一つ渡ると崎戸島になります。
昔、友人俵山さんとキャンプで訪れたことがありました。氏は大島で見かけた「若人の森」の標識を見て、「若人の森があるんなら、新妻の森もつくってほしい」と力説。また崎戸の砂浜にテントを張った私たちは、堤防の上から地元のおばちゃんに朝夕何度も話しかけられました。不法入国者と間違われたのでしょう。それほど「果て感」のある土地。
写真は北緯33度線展望台。海に突き出たこの地の展望所に遮るものはありません。
施設
緑に包まれた宿は、静かさを堪能させてくれます。渡るそよ風、野鳥の鳴き声、木漏れ日が注ぐ樹木の向こうには青い海が望めます。
部屋はメゾネット。1階がリビング、2階が寝室とバスルーム。木がふんだんに使われていてなごみます。
夕食
ここがレストラン。私たちの部屋からはベランダで直に繋がっていました。オーベルジュを囲う森が見えますね。
普段、粗食ですので、ここから驚きの展開。
前菜の盛り合わせ。人参とサーモンのマリネ、イカのイカスミ和え、モモの生ハム添え、鱈の生春巻き、魚のコンソメジュレ。
アミューズ。うえにのった半生のからすみ。
カルパッチョ。一切れずつ、タイ、ヒラメ、ブリ、アオリイカ、アコウ、ヤズゴ、イサキなど。
さらにカルパッチョ。アラカブ、カワハギ、ヒラメ。
伊勢海老とサザエの刺身。
このあたりから頭脳メモが怪しい。伊勢海老と……
お魚のうえにフォアグラ。
天然鯛のアクアパッツァ。
低温で焼き上げられたカモのステーキ。
デザート。お心づかいいただきました。
妻に感謝
30年に1回は感謝の言葉を。
30周年を迎えられたのは妻の人柄によるところが大きい。
情緒が凪の水面のように穏やかで感情的なところがない。子どもたちも一度だって大声出して怒られたことはないでしょう。人の悪口を言わない。本当に聞いたことがない。皮肉も言わないし、話のマウントもとらない。料理のレパートリーが増えたねと言っても「クックパッド見てるだけです」と応える。そんな人です。
いつもありがとう。
写真は10年ほど前の妻。今の写真をあげることは許しが出ませんので、そっとこれをアップしておきます。
朝食
バラの花を浮かべた朝風呂を楽しんだあと食事へ。
ブルーベリーのスムージー、オレンジジュース、ミルク。
ミネストローネ。アワビとタイ、ヒラメをのせて。
伊勢海老のスープ。
魚の網焼き各種。
自家製パン。リンゴとシナモンなど。
オムレツと生ハム。
そしてデザートとコーヒー。
朝も食べきれないほどのお料理でした。
ツリーテラス
仮基地ツリーテラス
里山の整備を進めた時期、寝泊りのための仮基地としてツリーテラスをつくってました。
里山の木を切っては皮をむき、乾燥させ、ロープワークで固定する。その上にテントを張る。
作業を終えて丸太のはしごをよじ登り、テントにクタクタになった身を横たえる。最高の一時。特に夜はそのころ獣害を避けるため樹上で眠ってました。
テントは命を守るもの
張っていたソロテントはアライテントのエアライズ1。キャンプテントは非常時の風雨に耐えるものでなければ命にかかわります。このテントは経年で強健さを証明し今でも信頼を置いています。
自然の中でボロボロになる解放感
仕事に忙殺されストレスが溜まると私は自然の中で作業し、汗を流し、ボロボロになって自己再生をしていました。土曜夜出かけ、日曜朝帰りとかですね。確かに休みは大切。しかしただゆったりと眠るだけでは取れないストレスがあることは科学的にも知られています。肉体の疲労と熟睡。これです。里山づくりはそれができました。
写真はごく初期の里山でのソロ活動。冷たい雨の中で、ぬかるんだ土の上にブルーシートを張り、メシを炊くの図。ボロボロの環境に自分を置く。そして芯から解放される。
キャンプ場をつくる
山を買う
今でこそ山を買って自分好みのキャンプ場をつくりあげていく人の話を見かけるようになりましたが、私が購入した時はまだそんなことが採り上げられていませんでした。親族筋から購入の話があって手に入れ、その土地を長いこと放置していました。
ある日、樹々の中を歩いて土の柔らかさに驚き魅了されました。そしてプライベートキャンプ場づくりが始まりました。多くの友人の力を借りました。合掌。
2001年5月。枕木ステージが作られるあたりです。この年の2月に里山道楽開始。テントを持ち込み、木製ケーブルドラムを机がわりにしてキャンプを楽しんでいました。まだ地面がむき出しですね。私の土地にはヒノキが立ち並んで雑木がない状態でした。現在の様々な雑木は私が一つ一つ移植したものです。
枕木ステージをつくる
2001年10月。来ました、枕木ステージ。現在でも最も長く重い枕木は1年目にやってきているんです。早岐から大型クレーン車をチャーターして運びました。今のスタイルの原型が伺われ始めてますね。人間って水平な土地が大好きなんです。
休暇小屋カバノンをつくる
2001年12月、休暇小屋カバノンに取り掛かります。写真は建設予定地にロープを張ってみているところ。キャンプで雨に降られた時の惨めさを体験した人なら分かるはず。雨が降ろうとへっちゃらな小屋が欲しくなるんです。
2003年12月、約2年の歳月を経てカバノン完成。6畳の小さな建物です。
カバノン前デッキをつくる
2004年2月、デッキ製作。先に完成していた枕木ステージとは別に、カバノン前につくり始めました。このときは枕木ではなく船底板を使ってました。
デッキと枕木ステージをつなぐ
2009年3月、119本の枕木を長崎電気軌道から入手し大型クレーン車に山盛りにして運びました。昔の長崎市のチンチン電車の枕木の一部は今ここにあります。枕木でカバノン前のデッキと、昔つくっていた枕木ステージをつなぎ始めました。
2009年5月、回廊でデッキと枕木ステージがつながれずいぶんワイドになりました。周りの木々も茂ってきました。雑木の数もだいぶん増やし育ちました。2010年5月に枕木を使い切ってデッキ完成。
お世話になった方々、本当にありがとうございます。気が向いたらまたアウトドアの話も書いていきますね。
さけび
みんな帰省をガマンしてるのにバッハはいいんか?
twitterから
バッハ会長がコーンパイプをくわえながらタラップを降りてきたって本当ですか?
バッハ会長に用水路の様子を見に行ってもらうのはどうだろうか。
バッハは14日隔離を無視。
バッハ会長はビジネスホテルに宿泊を。
Okura Tokyoの最高級スイートに泊っているなら、1泊300万円でしたっけ。3日間で900万円。900万円、コロナ対応してる病院の看護師さんに分けたほうがずっとマシ。
「YOUは何しに日本へ」取材班はバッハ会長に「YOUは何しに日本へ」とやってほしい。
この段階で「緊急事態宣言ってどういうものなの?」ってヤバすぎる! 受験2週間前の段階で「数学って何?」って言うてるヤツぐらいヤバい!
明日の便で帰国してほしい。
バッハ氏「皆さんを温かく歓迎したいと思います」。お前ん家と違うぞココは。
五輪CM激減してるでしょ? 嫌われてるんだよ。
朝食はとらなくてもいい
「朝食を抜くのは体に悪い」とよく言われますが本当でしょうか? 私は体重を落とすために朝食がわりにカフェオレをとってるぐらいが体調がいいと薄々感じてます。調べてみました。
もともと朝食はとられていたのか?
江戸時代の初めまでは、公家・庶民に関わらず午前中と夕方に食事を取ることが一般的で、食事回数は1日に2回でした。3食習慣は元禄時代から。これは江戸明暦の大火復興に集まった肉体労働者のために始まったとされているようです。
中世のイギリス庶民も一日二食でした。歴史的に朝食をとり始めたのは、人に使われるようになったのがきっかけ。
つまり二つのエリアでは、賃金労働者の発生によって1日3食になったみたい。
シリアルのキャンペーンと朝食の定着
アメリカで朝食が大事という意識が定着したのは、1944年シリアルを販売するゼネラルフーヅのキャンペーンが始まり。「Eat a Good Breakfast—Do a Better Job(いい仕事をするには良い朝食をとろう)」。こうして朝食の現代化はシリアルから始まりました。
ちなみにシリアルとコーンフレークの違いは、シリアルは小麦・大麦・米・トウモロコシなど穀物を加工した食品の総称。コーンフレークはトウモロコシから作られたシリアル。
アメリカの朝食と肥満
この動画を見れば、アメリカ人がお子チャマ味覚になっていったのが分かります。飽食の国アメリカ。現在アメリカ人が朝から食べているのは、朝食ではなくほぼお菓子。途中でコズキたくなりますが、最後まで見てね。
朝食をとらなくても弊害はない
コロナワクチン接種完了
おはようございます。今日はつらつらアップ。
コロナワクチン
昨日、コロナワクチン第2回目接種完了。第1回目は6月15日。ファイザー社製。副反応なし。でも当日夜は2回とも不思議なほど眠りました。
玄米
玄米食になって10日ほど経ちました。結論、うまい。
口当たりがあって、食べている実感を伴うところが気に入っています。さらに1日の食も細くなってきました。これが思い違いでなければ、体重減につながっていくのかもしれません。炊く際の水加減は心持ち少なめが楽しめます。
村上春樹『ノルウェイの森』
どうしてこの作品がメガヒットしたんだろうと思いながら上巻を読み終わりました。それ以前の作品にあった冬早朝のような張り詰めた空気感は弱いですし、かといってこれ以降の魔的牽引力も薄い。村上自身が手掛けたクリスマスカラーの装丁が要因との話もありますが。こんな時は、私の嗜好がおかしいんでしょうね。
新紙幣にチューリング
コンピューターの原理をつくりあげた天才チューリングの肖像がイギリス紙幣になりました。最後は自殺と断定された不審死。残念ながら革命的な発明をした偉大な先駆者にしばしばみられること。そんな例を挙げておきます。
わが家は標高130m
わが家は標高130m。通り抜ける風が涼やかで、この夏まだエアコンを入れていません。地形的には風の渡る谷のへり部分に当たるのかな。朝は野鳥の鳴き声に包まれます。
けれどこれから大暑に向かう頃には、建物のコンクリート躯体の蓄熱と、グラスハウス特有の日射によって、身を焦がすような時期を迎えます。
標高がワンクリックでわかる地図
こちらが自分の場所がワンクリックで分かる地図です。便利。
7月の朝
早朝5時、長崎市。街は朝を迎える。
この時間帯は照明を楽しみながら過ごせる一時。
相棒ジル。彼が私を起こすんだけれど。
記事の復活 2011
2011.3.11 東日本大震災
2011年の記事を復活しました。この年の前半は自ずとシリアスな記事が多いですね。こうした記憶は変化の激しいネット上では時と共に薄れていきやすいもの。ですからこそ時代の証言として残しておくことが必要でしょう。
大学勤務1年目で忙中閑有りを旨としていた時期でもあります。
雨季です。大雨にご注意を
朝6時、ジルとともに車を出した途端、降り始める雨。「はい、今日の水辺の森公園散歩はナシね」と天がつぶやく。
今週は雨が続くみたい
半夏生
昨日7月2日が半夏生でした。大雨、洪水災害が発生しやすい時期です。憶えていますか? 近年の九州の災害状況。どうか大過なく皆様方が過ごせますように。
2017年 大雨特別警報 日田彦山線の被害
村上春樹を読む
初期フアンにありがちなこと
初期フアンの中には、プレイヤーがメジャーになると引いていく傾向が昔からあります。例えばクイーンのファーストアルバムの発売当時「このバンドはすごい」と陶酔した私でしたが、メジャーになると、後続のアルバム発表を遠い目で眺めるようになりました。
村上春樹もそう。
『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』までは熱心な愛読者でしたが、『ノルウェイの森』のメガヒットで彼が国民的作家となってからは、足が遠のいてました。短編やエッセイはぼちぼち寝転がって読んではいたんですがね。
村上春樹の長編小説
それがね、この前、キャンプの待ち時間つぶしに入ったブックオフで長編『窓辺のカフカ』を何気なく手にして以来、再びとっぷり浸かっています。村上春樹の長編は、初期に重視されていた張り詰めた空気を下して、物語を紡ぐことに力が注がれています。それも翻訳されることを前提に書かれているようで、旧来の作家たちが凝った日本語の細やかな機微を捨てつつ、リズム感をキープして物語を紡ぐつくり。
初期作品と読み方を切り変えると、のめりこんでいきます。ざるそば小盛を箸でつまんで味わうんじゃなくって、注がれる椀子そばをガンガンかっ食らう感じ。
ウィキペディアによると、彼は1990年代後半から「総合小説を書きたい」と口にしていたらしい。総合小説として彼はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を引き合いに出しています。それは「いろいろな世界観、いろいろなパースペクティブをひとつの中に詰め込んでそれらを絡み合わせることによって、何か新しい世界観が浮かび上がってくる」ような小説。
ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』もそんな感じだよね。ジャン・バルジャンが下水道に逃げ込むとパリ下水道の歴史が延々と書き込まれたり。
たしかに。そういったことは作品を読んでいると自ずと分かります。
秀逸なブックオフは東長崎店
なお、おススメの購入先は東長崎のブックオフ。多くのブックオフがゲームソフトとマンガ販売店化しているなか、ここはしっかり小説等も販売していて、1冊基本が110円。なんてことでしょう(笑)。